アップする時間のないままになった。
これは先週の日曜日の薔薇。
眠りの外に雨の気配があって、目覚めた明け方。
上がっていたので、慌てて起きた。
疲れていたけれど、寝不足のまま、久しぶりにカメラを持つ。
露の干ぬ間に。
瞬間、瞬間が、二度とこないかけがえのないもの。
明日のことはわからないから、いま、できることをやる。
アップする時間のないままになった。
これは先週の日曜日の薔薇。
眠りの外に雨の気配があって、目覚めた明け方。
上がっていたので、慌てて起きた。
疲れていたけれど、寝不足のまま、久しぶりにカメラを持つ。
露の干ぬ間に。
瞬間、瞬間が、二度とこないかけがえのないもの。
明日のことはわからないから、いま、できることをやる。
覚悟と決断の瞬間の積み重ね。
次の瞬間には、これが正しかったのかと迷い、悔い、また立ち戻る。
花は毎年、美しく咲くけれども、それを撮る私は、去年の私でも、昨日の私でもない。
今日。
兄の治療の放棄を決めた。
抗がん剤の使用をやめる。
いのちの期限を切る。
2016年の秋の薔薇
記録として
記憶として
瞬間瞬間が本当に貴重
今しかできないと思うことを無理してやる
食べないでも
眠らないでも
命を削って
観て
撮る
奈良に行こうと思っていたこの秋。
今年の春までは。
でも、叶わなくなった。
墓参の帰りに途中下車して、すこしだけ自分の時間。
なんで私ばっかり、という気持ちと戦って勝つための栄養剤。
何かを犠牲にしなければ、何かは得られない。
あるいは、誰かを。
この梅を見るために、病人と老人のいる実家に嘘をつき、繁忙期の職場を半日休ませてもらった。
申し訳なさと後ろめたさを「でも」と「だって」で覆いながら、秒単位で走る。
慌ただしい花見。
けれど。
このひとときがなかったら。
私は、呆けた母と病の兄を殺して、自分も死んでいたかもしれない、と思う。
明日の夜は、9時前には仕事を終えよう。
家に帰ろう。
ご飯を食べて、テレビを見て、ブログを読んだり書いたりする、普通の、それでいて今は得難い暮らし。