花を惜しむのではなく、時を惜しむ。
ねじこむように作った時間で、花を見に走る。
今年はコスモスを見られずに過ぎるかと覚悟していた。
でも、無理をしたらできた。
身体を休める時間はなくなったけれど、心は凪いだ。
しなやかに、たおやかに。
これからも、無理を通す。
だから。
無理しないで、と言わないで欲しい。
無理をしなかったら、何も手に入らない。
花を惜しむのではなく、時を惜しむ。
ねじこむように作った時間で、花を見に走る。
今年はコスモスを見られずに過ぎるかと覚悟していた。
でも、無理をしたらできた。
身体を休める時間はなくなったけれど、心は凪いだ。
しなやかに、たおやかに。
これからも、無理を通す。
だから。
無理しないで、と言わないで欲しい。
無理をしなかったら、何も手に入らない。
仕事で、30数年ぶりに降り立った駅は、ずいぶんと様変わりしていた。
このアーケードの商店街だけが、私の古い記憶と一致している。
しかし、変わりゆくものを、それほど嫌とは思わない。
桜、のせいかもしれない。
あっという間に咲いた。
あっという間に散るのかもしれない。
誇るように、惜しむように、眺める朝。
会社までの道を、すこしだけ遠回りして歩く。
この春は、毎年通っていた「いつもの桜」は見られそうにない。
名所に居並ぶ桜たちには比ぶべくもない。
けれども。
ここを私だけの宴の場所とする。
わずか数分の花の宴。
そして自宅近くの帰路はもう夜。
月と花と、なぜか電線に心和む。